弓月愛の光りの輝き

“常識“より大切なこと。それは、“真実“…

邪気入りの500円玉の価値はいくらなのか?

おなじように見えるお金にも、人を幸せにするお金と不幸にするお金がある。

妻から受け取ったお釣りの500円玉に、大量の邪気が入っていました。

ふつうの霊や気の類であれば、瞬時にそれを祓ってしまえば良いのですが、今回はそうではありませんでした。


悪魔、尻尾の三本ある狐、その他、あの小さな塊の中に、わんさかと入り込んでいます。

 

この小さな塊をめぐって、いったいどんな葛藤や執着が為されたのでしょうか?

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私は、人の体に憑いているものも祓うし、心に作用している霊も浄化することが出来ます。

ただし、現在霊能者、もしくはスピリチュアリストとして活動されている方々も、経験していらっしゃると思うのですが、悪魔系統の奴らは、ふつうの霊とまったく違って、何度も攻撃を繰り返します。

 

祓ったと思ったら、祓えてなかったり、また新しいものが懸かったり、分裂したり、仲間を呼んだり、、いいように人をからかいます。

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私は先日も、お客さまの悩みに関して、あらゆる視点から浄化を行って、それなりの御代をいただきましたが、今回の500円玉一枚に憑いていたものは、それらのすべてを重ね合わせても、まだ足りないほどに、負のエネルギーの権化、マイナスの塊となってしまっていました。


もちろん私は、さっそく500円玉の祓いを試みました。

ところが、この一枚に巣食う邪気の量や大きさは、先ほど書いたように、際限がありません。

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あまりこういったことに、換算したくはないのですけれど、非常にわかりやすくご理解いただくために、こんな提示をしたいと思います。


仮に、お客さまから、この一枚の500円玉に憑いているものを、祓うよう、依頼されたとしたら、10万円ではまだ足りません…。15万円もらっても、嫌です。


というか、正直、やりたくありません。こんな…みじめなことはありません。


9割5分のお客さまから、感謝の言葉をいただいている、私の修法の力が、ほとんど通用しないんです。。


やってもやっても、おなじところに留まって、私の存在理由さえも希薄になってくるくらい、プライドはガタガタになっていきます。


そして、今回はお客さまの依頼ではなく、私が受け取った500円玉によって、たぶん、このあと、二日から三日は、七転八倒を繰り返すのです。

 

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正規に流通している貨幣500円玉一枚で、10万円の損害。。


財布に入れれば、運気は消沈し、健康は破壊され、家庭内にもごだごだが続くでしょう(いったい誰なんでしょう?妻にこんな500円玉を寄越した人は??)


そんな500円玉の物質的な価値というのは、いったいどんなもんなのでしょう?


私は、こういうことがあるから、お金というものを、信用していないんです。

世にお金というものがあること自体、良しと思っていません。

どうしても、人類にとってしばらくのあいだはなければいられないというのであれば、霊媒体質である私にとって、数字だけの電子マネーのほうが、リスクは大変少なくて済みます。

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この500円玉は、私にとっては、マイナス10万円玉です。

みなさんは、欲しいですか?差し上げましょうか?


(さぁ、この500円玉をどうしようか?)


私は考えました。


時間があれば、神社の賽銭箱に入れれば、それで済みます。


ただ、外はもう深夜です。


近くの自動販売機に向かったとしたって、ここまで酷いと、これで等価交換して手に入れたものでさえ、あまり使いたいと思いません。


妻にそこまで言って、500円玉を返しました。

そして、先ほど千円札を渡したので、「釣りはいらない」と言いました。

 

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妻の財布の中には、私が浄化したコインとお札が光っています。

ただひとつ、その500円玉だけが、浄化出来ません。
すごく良くないです。


妻は、500円玉を手にすると、家の外に出ていき、夜の闇の中に、その500円玉を放って捨てました。


そのとたん、私の修法の力が作用し始めました。


500円玉から受けた魑魅魍魎を、やっと私の体から外すことが出来たのです。


私は、その500円玉がどこにいったか、わかりません。
ただ、その500円玉には、元の魑魅魍魎は憑いたままです。


でも、もしそれを人が拾ったとしたら、彼にとって500円は500円でしょう。

500円に見合った何かが買えるでしょう。

交番に届けていただいても構いませんが、私は名乗りをあげません。

どちらにせよ、私が経験した苦しみなど分からないうちに、何事もなく、また流通の中にまぎれていくでしょう(私の立場見ると、みなさんそれだけ鈍感なんです)。そして、少しづつ、念も気も、少しづつ人を不幸にしながら、剥がれ落ちていくはずです。

 

しかし私にとっては、たとえ一食割いたとしても、どうしても手元に置きたくない500円玉です。

 

私とは異世界の異物です。

 

他の人には、ない、悩みで、怯えながら生きています。

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お金の価値とは、いったいなんでしょう?

人々の幸せの形とは、いったいなんでしょうか?


お金をたくさん持つことが、本当に人の幸せなのかどうか?今日のこのお話しから、みなさんに考えていただけたら…と思うのです。

 

弓月愛(ゆづきあい)すぴりちゅあるひーらー

仏壇に憑く“無縁霊(むえんれい)”

お参りする前に、ひと手間掛けることで、ご先祖様にとても喜んでいただけます。

神棚や仏壇で、ただ、お祈りをしていればいいと考えていらっしゃる方がほとんどだと思います。

私という人間は、この人生、そっくりそのまま、祓いのために生きてきたようなところがあるのですが、今日は、仏壇のお祈りの前に、仏壇に憑依している霊をしっかりと祓ってから、お祈りを始めました。

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【寄代(よりしろ)】

元々、神棚にせよ、仏壇にせよ、霊や神様の寄代(よりしろ)です。

霊が降りる場合、これは、憑(つ)くといいます。

神様が降りる場合は、憑(つ)くではなく、懸(か)かるといいます。

仏壇にご先祖の霊が憑く(…この場合は、霊であっても懸(か)かると言いたいですね)のは当たり前なのですが、我が家とはまったく縁のない、別の霊が仏壇に憑くこともあります。

 

これはやはり、憑いていて、気持ちのいいものではありません。

気付いたからには、見逃すわけには、参りません。


一般の方は、そのまま、ひっくるめてご供養していれば、やがてそれも上がっていきますけれども、私としては、やはり自分のご先祖と他の霊との線引きは、はっきりとおこないたいというこだわりがあります。

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【霊と念】
また、“あること”が原因で、霊だけではなく、“念”が入り込んでしまうこともあります。

これには、まったく同情の余地すらありません。


実に“身勝手”な、“我よし”の、なんら功徳などない、実に“迷惑”な、目に見えぬ存在でいらっしゃいます。


お祓いを終え、時間をかけてご供養をしたら、それまでずっと良くなかった体調が、その瞬間から、すこぶる良くなりました。

ご供養のやり方などは、それぞれのご家庭の宗旨に合ったもので良いですから、皆様も、お盆も過ぎた時期ではありますが、これからでも、ご自宅にある仏壇をしっかりと、拭き清めて、心を込めて、お供え物と、お祈りを捧げてみてはいかがでしょうか。


弓月愛(ゆづきあい)すぴりちゅあるひーらー

真実から離れるための“学問“を積む人たち

愚かなる臣下のために、馬と鹿の違いも分からなくなってしまった、馬鹿の語源也


学ぶほど

離れし真実

人を斬り

 

我(わ)れ、善行成せりと

思い上がらん

馬と鹿

        弓月愛

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大切なものは“魂“。

この世で何を刻み、何を善としてきたか?

ただ、それだけ…

資格や肩書きは、一切関係ないね。

 

それなのに、なぜか、

人を惑わす、ペルソナをみんなが欲しがるんだよ。

本物の学問など知らずにね。

その場、限りの…賞賛と自己満足を得るためにね。。

そうやって自分に酔っている○鹿のために、周りが傷つくよね。

何やってんの?中身を鍛えなきゃ。。。

生まれたての赤ん坊のほうが、まだ賢い!なんてこともある。。

動物のほうが、まだ賢い!って、思ったことなぁい?

論語読みの論語知らず“に、足りないものって、

なんだと思う??

人を思いやる心=仁(じん)=そして、、愛。。

 

弓月愛(ゆづきあい)すぴりちゅあるひーらー

スピリチュアルカウンセラーが、心理カウンセリングを受けるとどうなるか?

スピリチュアルカウンセラーが心理カウンセリングを受けるとどうなるか?

占い師であり、スピリチュアリストの私が、心理カウンセリングを受けてみました。

女性の先生でした。

先生の資格や経歴から推察すると、申し分のない能力をお持ちだと思いました。


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初めは、私の思いやら、苦しみやらを、「うんうんうん、なるほど」と、ずっと頷(うなず)きながら書き込んでくださったのですが、、


クランケであるこちらが、

(こんなに、パーソナリティー情報を重ねて、本当に消化しきれんのかなあ?)
(大丈夫かなぁ…?)
と思いながら、さらに質問を増やすんです。

ところが…

いざアドバイス頂こうとすると、


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①はっきりとした言葉が出てこない。

②お茶をにごす。

③むずかしいを連発する

④私が傷つかないように、やんわりと、”ある方向”へと、誘導していく…
(回数を重ねていくことに、そのある方向の正体がわかってくるはずです。私はもうわかったので行きませんけどね)
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占いでもそうなんですが、先生の方は、ある”答え”をすでに持っているんです。

はっきりしてるのにそれを言わない。
多分、言ったら終わってしまう。

また、なんのカウンセリングでもそうですが、当然、私の代わりに、先生が肩代わりしてくれることはない。

本当ならば、自分の認識できる領域に、クランケを形はめすることがカウンセリングの本質ではない。

本人さえも気づかない、潜在意識からの、気づきを掘り下げていくためと、私は認識している。

しかし、そうやって、カウンセラー側から垣間見えた、クランケの心の闇に、自信を促すことは出来るはずだと思う。

 

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そのためには、何があろうが、どんなに理に叶わないめちゃくちゃな理論を言われたとしても、クランケの人格だけは絶対肯定していなければ、どんなに高度な資格を持っていてしても、お互い真に心を開く対話は血裂し、中途半端に終わってしまう。

もしくは、クランケにどこか不満が残ったまんま、分かったような風に押し切られて、それで「解決」とされてしまうのではないか?

 

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あと、今日は私の奥さんも同席したのですけどね、女性同士のほうが話が通じやすいようでしたね。
私にとっては、高度な心理学の専門家が、そんな日常の話を参考にはしないだろうと思っていたんですがね。

どうやらカウンセラーの顔色を観察していると、より日常的で、具体的な事象のほうが、カウンセラーの心にフィットするらしく、私の言う言葉はどこまでも抽象的のようで、うん、うんうんと、うなずいてはいたものの、なるほどとはいったものの、結局何も納得はしてなかったんじゃないかなと言う気さえします。

まぁ、聞き流したり、無視したりはしないものの、延々と言葉を文字として書き留めるに終始することで、精一杯なようでしたね。

 

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【心理カウンセリングと、占いと、スピリチュアルカウンセリングと、どれがいちばんフィットするか?】

それぞれ、人類の叡智であり、アプローチの仕方が違うだけであるが、私は、初めの頃のブログに、スピリチュアル歴40年と書きまし子た。

今日は正直、全く物足りなかったのです。

心霊の世界からのアプローチは、縦横無尽ですからね。

たとえ、この先生が、ご自身のカウンセリングに自信を持っていたとしても、私はきっとそこに感動的な何かを見いだすことは、まずなさそうです。

私が人を通じて、見出すことは、いつもその人の瞬間瞬間の生き様です。
職業も年齢も立場も関係ありません。魂です。

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私の奥さんは、私に「最低5回通ってみれば?」と言いましたけれど、ほとんど言葉を発しなかったカウンセラーの先生の中でも、幾つかの希少な言葉の選び方、何を問題と捉えるか?何をキーワードとするか等々、、

私の占いの相性鑑定の基礎の部分に該当するのみで、どうしてもこの先に光り輝くウルトラC珠玉な言葉の数々が発現しそうには思えなかった。

最終的には、その人の器(キャパシティ)や人間性人生経験などから、クランケを昇華へと導かなければならないが、その向かうところの方向性(ベクトル)は、実につまらないもののように思えた。

 

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ここからは、全く責任のない言葉で申し上げるので関係者の方には、ご容赦いただきたいのだが、人生の中において、多々の経験を重ね、知識を読み、見、聞き重ねてきた私のような中年以降の男性に対しては、心理カウンセリングと言うのは、あまり効果を見出さないのかもしれない。

人が人を救うのは、最終的には、人はどう生きるべきか?と言う議題のみであり、その絶対的な答えは、人生を卒業した者たち、例会における、4次元世界以上の住人にしか本当のところはわからないと私は捉えている。

1回行っただけでここまで言い切るのもどうかとは思うが、無理だとわかっているのに、不毛な時間を繰り返すのは、虚しくなってしまう。

先ほど言ったように、私が今まで生きてきた世界とは、まるで別格のように思ってしまった。

そうは言っても、私側からは、面と向かって、カウンセラーの先生の発言に間違いがあっても、なかなか否定しづらく、場が場ばだけに、喧嘩する気も起きないから、癒しと言うよりは、

消化しきれない。
本音を語ることもできない。

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底知れぬ寂しさを抱えたまま、お口直しに、私の霊能の先生に電話をしました。

私の表も裏も全部わかっているところで、押し付けず、自信を持たせて、折衷の言葉のみを発してくださるから、安心なんですよね。

似たような分野と思い、興味のあった心理の世界ですが、私には合わないなぁと、今回のことで、思いました。

きちんと、霊能の道を進んで行きます。

弓月愛(ゆづきあい)スピリチュアルヒーラー

打算と評価〜あぁ、”勘違い”自称スピリチュアリスト達の人助け〜

人を幸せにしたいのですか?それとも、“自分“の正義感を満足させたいのですか?

”自分にとって、得か?損か?”

“この人は、良い人、悪い人”


そんなことばかり、追い求めて、ほくそ笑んでいる人は、”スピリチュアル”や“カウンセラー”の名を借りた、”まがいもの”である、と私は信じている。

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よく、瞑想をする際に、自分というものを入れずに、無の境地になるというが、人様の鑑定やカウンセリングもまた、虚心坦懐でなければならない。

さらに!(←注目!ここが大事)虚心坦懐となって、どんなに小さく見える存在からも、いつもあらたに学ぶ謙虚な精神を持たなければならたい。


”その人が実は何者であるか?”

”今ある姿は、はじめから、そうだったのか?”

”そうでないなら、いつからそうなったのか?”

“”なぜ、彼はそのようにならなければならなかったのか?”

ちょっと考えてみれば、カウンセラーじゃなくったって、心に愛を持っている人間でありさえすれば、幾らでも、想像力をはべらすことができるはずだ。

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ところがみんな、【子供の頃から、「あれが好き」「これは嫌い」を繰り返してばかり】だから、あとは【いい大学に入り、いい会社に入り、いい成績をあげることに必要な、打算と情報の取捨選択ばかりをしている】から、いざという時に、自分とは全く違った人生を歩んできたものの気持ちは、【全くわからない】想像しても、第一自身の不得意分野の知識のないところからは、答えなど一切!出てこない。


最終的には、この人は、良い人悪い人とは、結局のところ、


”わたし”が、


好き、か?


嫌い、か?


の2択になって、その人をカウンセラーの狭き常識の中に閉じ込めて、終わるのである。

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彼のその後の人生なんか知ったこっちゃない。


”今日も、私は良いことをした”

”なけなしのお金を稼いだ”

“ ”さぁ、お腹が空いた。稼いだ金で、何か食べよう”

”今日も、元気だ、ご飯がうまい”

と言って、1日を終わるのである。

(やれやれ…(´ー`))

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(ちなみに、当然のことながら、私も生きてる人間である)


ここに私の好きな、言葉を書いて今日と言う日を終わろう。


三界の狂人は狂せることを知らず

四生の盲者は盲なることを識(さと)らず

生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く

死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し


弘法大師 空海

 

弓月愛(ゆづきあい)スピリチュアルヒーラー

 

 

 

奈良の鹿(神使)に好かれて市議となった“へずまりゅう”氏

奈良公園の鹿は、野生動物であり所有者はいない。国の天然記念物である。

元迷惑系ユーチューバーの“へずまりゅう”氏が、奈良市議に当選した。

彼が、市議選に参加していたことも知らなかったが、当選という文字を見て、心底
驚いた。


彼のことは、ユーチューブで何度か見ていて、たくさんの人を困らせたり、実害が
あったり、彼の両親の手記などが載せられていたから、そのままフェイドアウト
ていくのだとばかり思っていた。

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また、最近になって、日本にやってくる中国人観光客の、奈良公園の鹿たちを蹴る
などの暴威について明らかとなり、それに対して、こんこんと立ち向かう、ユーチ
ューバーが出始めたことも、知っていた。


私はそれが、まさか、彼だとはおもわなかったのだ。


我が国、日本の象徴のひとつである、奈良公園の鹿を、こともあろうに、外国人が
鹿たちが何もしないにも関わらず、一方的に暴威を振るう姿を見て、地元の人間で
ないにしても、それを見て腹立たしい気持ちになったことは、一緒である。

そうして自分たちとずっと過ごしてきた、仲間(鹿)を目の前で痛めつけられる地
元の方たちにしてみれば、それは、耐え難いものであろう。

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【そこに、ひとりの勇敢な、若者が現れた】


物言わぬ鹿に成り代わり、また、NOと言えない一般の日本人に成り代わって、正々
堂々と中国人の彼らに、NO!を突きつけた彼の正体は、あのかつて世間を騒がした
、まさかの、へずまりゅうしであったことを、いま、知った。

こうしたへずまりゅう氏の地道な努力(!?)は、瞬く間に奈良市民の心をつかみ
、なんと投票数第三位という成績で、見事!奈良市議へと当選を果たした。


私はへずまりゅう氏の現在の姿を見て、感服した!

う~ん。なかなか立派ではないか!!


さらに、こちらの動画を見て、たいした奴だと思った。

youtube.com


中国では、「へずまりゅう氏のような者がいるのだったら、もう日本には行かない
」という運動が起きているとか、起きていないとか!

これが、もし本当だったら、奈良市民の先見の目というものは、すごいものがある
。彼の功績もまた、これまで人に与えた苦悩を差し引いても余りある!


鹿は、神様の使いである。
そういえば、最近のへずま氏も、どことなく顔が鹿に似てきた(笑)

また、私、弓月愛とも関係の深い動物である。

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善悪といえば、これまでは、“暴力を振るうもの”など、実にわかりやすい定義が
あり、それをやり込めるものが正義とされていたが、現在は、見よ!当の中国人た
ちの暴威を治める正義は、どこにいるのか?

また、悪をやりこめて、成敗されてしまえば、世は安心。もうその者の生きる権利
などどうでもいいという、風潮が蔓延(はびこ)っていたが、このへずまりゅう氏
は、適材適所と言っても良いだろう。

かつての悪を、善として生かすことの出来る、しかも、大善として、生まれ変わっ
た彼の姿。大悪として、あらためて認識なさねばらない、彼方の人たち。

こうした気付きを、与えてくれた、いまの時代、奈良の人々に、私は心から敬意を
称する。

 

弓月愛(ゆづきあい)スピリチュアルヒーラー

 

 

生まれた子を受け入れられない母馬、果たして結果は?

お腹の中にいる子は、果たして、自分だろうか?それとも、、別人だろうか?

昨日に引き続き、動物達のこんな動画を見ました。


"生まれた子を拒んだ母馬の結末は?"

youtube.com


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心理学や精神医学など、人そのものを学ぶ学問が、多角化、深層に挑めば挑むほど
、その難解さに、私たちはわからなくなってくるのが、常だと思います。


そして、結局は、

これまで習ったこと、
親から教えられたこと、

自分の知り得る、ごく身近なところから、自分自身の価値観を計る、ものさしを、
自分にあてがってみるわけです。


すると…
結局は、“できない”ことの再認識を深めるだけで、自己否定を繰り返してしまう

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今回の動画は、子供を産んだのに、母親としての自覚が持てない母馬の姿が、映さ
れていました。


おなじような経験をされた女性の方、現代は特に多いのじゃないでしょうか?


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私は、

「よい母親にならなければいけない」

というのは、強迫観念だと思います。


結婚も、就職もそうですけれど、しなければいけないものではなくって、

「したくなるもの」だと思っています。


母親になるということも、はじめから母親になることを目指すんじゃなくって、母
親になったという喜び、自覚の芽生えだとおもうのです。


これは、母性によるものです。


母性がないからといって、この馬が咎められる理由になりません。


母親でありながら、どこか、周りの人や大人たちの手を借りて、母親になっていく
過程。


人それぞれ、、
馬もそれぞれで、美しいじゃないですか…

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私は、神様の愛の特性として、許すということが、とても大切だとおもうんです。


人も、馬も、許された分、その胸に、愛を抱きます。

そして、その抱いた愛のエネルギーは、まちがいなく、次の世代を担う、子供たち
へと受け継がれていくのです。

 

弓月愛(ゆづきあい)スピリチュアルヒーラー